【小説】『三国志』6 宮城谷昌光

基本情報

作者  宮城谷昌光

出版  2010年

出版社 文藝春秋

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目次

  • 袁譚
  • 高幹
  • 田疇
  • 三顧
  • 甘寧
  • 長阪
  • 魯粛
  • 水戦
  • 赤壁
  • 江陵
  • 合肥
  • 巡靖
  • 後漢と三国の仏教事情4

ざっくり内容

曹操は北方を討伐し、幽州までを占領した。荊州では劉表が死に、劉琮が跡を継ぐ。劉琮は劉備に樊城を守るよう伝える一方、何の連絡もなく曹操に降伏した。曹操は南下し、劉備は一敗地にまみれる。曹操はさらに孫権に降伏を勧告するが、周瑜魯粛の反対により開戦。周瑜・黄蓋の活躍により赤壁で曹操を破る。しかし、周瑜が要請していた出陣を劉備が緩慢に行ったため、曹操をとり逃す。周瑜はその後江陵を攻めるが、曹仁の前に城を落とせない。その隙に、孔明の策により荊州南方への出陣を劉備は周瑜に認めさせる。棄て続け逃げ続けた劉備がついに所有をおこなう。

印象的な場面

「軍事では策略を用いる曹操であるが、人と人との契約ではうすぎたない欺誑をおこなったことはない。そこを誤ると、すべての関係が詭形になり、組織の幹枝が闇をもって鬼を産み、王朝も成り立たなくなる。ほんとうの利益は誠実さをおしすすみゆくことで得られる。」(p18)

「楽毅や白起のような名将でも、生まれたときから将軍ではなかったのだ。学習し、努力し、工夫をおこたらぬ者のみが、人として成長するのである」(p21)

「『士はみだりに名が有るわけではない』」(p38)

「こういうときに曹操の知識が、窮状を打開させたのであるから、知ることと憶えておくことは大切である」(p79)

「ひとつの行動が、燦然たる未来への扉に手をかけさせたといってよい。そう想うと、人は坐っていては幸運にめぐりあわぬことを、戦国時代の思想家である韓非子は、『守珠』という言葉で教えた」(p100)

「賢能の者は賢友をもっている、ということを劉備は気付かない」(p101)

「大事を成すには人を本とする。いま人が吾に帰服してくれているのに、置き去りにすることができようか」(p154)

「徐州人は曹操ぎらいが圧倒的に多い。それを想うと、曹操の最大の過失は、徐州で行った大虐殺であり、それさえなかったら、亡くなるまでに天下を統一することができたであろう」(p201)

感想

以前の感想にも書いたが、本書は曹操に非常に好意的に描かれているため、徐州大虐殺についての描かれ方が非常に不満であった。そしてこの巻で上のように書いてある。であるならば、実行当時の際にやはりもう少し記述をすべきであっただろう。

また、本巻では、人をほめすぎるエピソードを司馬徽のものとしているが、これは一般的には龐統ではなかっただろうか。

劉備周囲の描き方がやはり独特で面白い。少しずつ少しずつ関羽の心が劉備から離れているのも私の知る限り他の作品にはない。しかし面白いのは、作者がこの三国志で一番好きな言葉が逃走中の劉備の「大事を成すには人を本とする」なのが面白い。どの本に書いてあったかは忘れたが、この言葉を見ると涙がでるとまで書いていた記憶がある。

それにしても、この記述は孔明に厳しすぎであろう。「曹操軍に追撃された劉備軍が、何の謀計ももたず、反撃もせずに、長阪で敗れ去ったことから、諸葛亮の才能が戦いに不向きであることは明らかである」(p269)。あの場面では、賈詡であろうが郭嘉であろうがどうしようもなかったように思えるのだが。荊州をとるよう勧めた孔明の意見を拒絶した劉備の行動がベースとしてあるのだから。

巻末に仏教事情についての連載が続いている。サクユウというろくでなしが三国時代の仏教徒というか仏教利用者だったのが、悲劇の一つであるとのこと。この中に以下の記載がある。「国王が信奉した仏教を、国民も信仰して、国王が替わっても、かれらの一部は永々と信仰心を保持した。宗教の力の恐ろしさである。」(p383)浅学な私には何が恐ろしいかがよくわからない。