【小説】『三国志』(7)宮城谷昌光

基本情報

作者  宮城谷昌光

出版  2011年

出版社 文藝春秋

スポンサーリンク

目次

  • 四郡
  • 養虎
  • 龐統
  • 潼関
  • 雨矢
  • 馬超
  • 法正
  • 劉璋
  • 成都
  • 天府
  • 張遼
  • 魏国
  • 後漢と三国の仏教事情5

ざっくり内容

荊州四郡を手に入れた劉備を周瑜は憎む。孫権は曹操の敵を増やすとの魯粛の提案を入れ劉備と戦わず妹を嫁がせる。周瑜は蜀をとり馬超と結び曹操と争うことを企画し実行しようとした矢先に病死する。曹操は西方で反逆した馬超韓遂を破り、劉備は張松・法正・龐統らの進言により益州へ出陣する。曹操は漢中を獲得するが、このまま蜀へ進攻するよう勧める司馬懿の提案を退ける。空箱を送られ荀彧は死に、曹操は魏王となる。

印象的な場面

「最大の敵は最良の理解者となりうる」(p14)

「器量の小さな男とはおもしろみのないものだ」(p18)

「それにしても、劉表の判断とは、つねにこうである。是非を明確にしない。それゆえ、この人は思考を行動にうつすことができない」(p54)

「(春秋左氏伝は)読者に教訓をおしつけたり、善悪の判断をひけらかさないだけに、のびやかで奥ゆきのある書である。何が正義で、何が邪悪であるか、読む者が自分で考えるにふさわしい書である」(p89)

「劉備だけが改革をおこなうことができると信じて付き従ったが、諸葛亮に動かされる劉備を見た関羽は、―主もほんとうの正義を実践できないと感じた。(中略)正義とはどのようなものであるかを天下に示すことができるのは、わたししかいない、とひそかに意気込んだにちがいない。しばらくは劉備の傘下にいるものの、やがて劉備から離れ、たれにも属さない国を建ててやる、というのが関羽の志望であったと思われる。関羽がしばしば人をあなどるのも当然である。関羽にとっては、多くの人が悪人かさもなくば偽善者であるからである。かれがおのれの強さを誇り、人の弱さを嗤ったとすれば正義を求めつづけている勇気を誇り、正義を求めることをやめた卑屈さを嗤ったと想うべきである」(p89~90)

「どれほど頭脳が優秀でも、心神に仁義をもたぬ者は、かえって害となる」(p102)

「臨機を度外視して先哲の言をなぞるだけの臣がふえると、政府は硬直して応変のしなやかさを失ってゆく」(p201)

「善をおこなうのは山に登るようにむずかしく、悪にはしるはたやすい」(p234)

「けっきょく人の生きかたは、怨みを買うよりも、恩を売るのが勝ちとなる」(p336)

感想

この宮城谷三国志を読んで一番の衝撃は、上記の関羽の描写についてである。これまでも伏線で少しずつ関羽の心が劉備から離れてきたが、ついにここまできた。「関羽は劉備のもとから独立して国を建てようとしている」このような関羽像はみたことがない。もちろん作者の深い洞察の上ではある。

ところで、徐州大虐殺のときから書いているが、やはり本シリーズは曹操へ好意的な記述が目立つ。本書では張松が自らの立場を失っても蜀の民の為に動く、義の人のように書かれている。その張松が最初は曹操に誼を通じに行った際に、曹操が傲慢であったため張松は劉備に鞍替えしたのである。このことは本書でも記載がある。そして本書では別に張松は孟徳新書をバカにもしないし、曹操の敗戦をあげつらうこともしない。そんな張松が怒ったのは「曹操は長阪において劉備軍を撃破し、追撃にうつっていたので、この遠来の使者をねんごろにあつかうゆとりがなかった」(p22)からであるとする。これまでの曹操の描き方、また的確な意見をいう有能なたくさんの幕臣、それでこれはないだろう。張松も狭量すぎることになる。蜀の民の為に遠路はるばるいってこの程度で怒るほどの小人とは書かれていない。
もう一つ、このようにも作者は書いてある。「曹操は政府と社会を腐敗させる偽善を憎んだがゆえに、大量虐殺のような極端な行動に走ったことがある」(p52)。この記述は突飛にすぎないか。

いずれも記述はしないといけないが、曹操を貶めるわけにはいかないためという思惑による擁護に見える。