【小説】『三国志』(9)宮城谷昌光

基本情報

作者  宮城谷昌光

出版  2013年

出版社 文藝春秋

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目次

  • 曹丕
  • 孟達
  • 箕谷
  • 街亭
  • 曹休
  • 陳倉
  • 三帝
  • 曹真
  • 天水
  • 悪風
  • 遼東
  • 張昭
  • 孫策の死について(下)

ざっくり内容

狭量の曹丕は曹操の命の恩人である息子を、諫言が煩わしいとのことで死刑とする。健康だった曹丕はその直後病死し、後継者になるとは思われていなかった曹叡が皇帝となる。孔明は北伐を開始するも孟達・馬謖と軍事の能力のなさをさらけだし失敗が続き、魏延に臆病者呼ばわりされる。だが孔明は戦を重ねるごとに学び、ついには司馬懿を破るほどまで成長する。呉では皇帝となった孫権が配下の諫めも聞かず遼東の公孫淵に騙され1万の兵と武将を失う。策略の多い呉は、曹休を策略でおびき寄せ大勝する。

印象的な場面

「―命を知る者はは巌牆がんしょうの下に立たず。と、『孟子』にある。天命を知る者は、くずれかかった石垣の下には立たない。天命がおのれにはある、とうぬぼれてはならない。危険があれば、避けるのが、天命を知る者なのである。」(p44)

「諸葛亮の旗鼓の才は、袁紹程度とみてよい。優柔不断であり、公孫瓚には強いが曹操には弱い兵略的欠点と似た短所をもっている。はっきりいえば、諸葛亮は春秋時代の管仲のように万能ではなかった。戦国時代の楽毅は寡兵で敵国の首都に直進したが、諸葛亮にはそういう敢勇もない。したがって諸葛亮には天才的な軍師が必要であった、とあえていわねばなるまい。」(p95)

「兵站という存在をその戦略に含まない孫氏の兵法は、天下平定を経験していない戦い方が説かれており、十全の軍事教本というわけではない。」(p126)

「温情がのちの成果の遠因となるほど蜀という国は成熟していない。」(p132)

「諸葛亮の内政には破綻がなかった。が、問題は軍事である。益州南部の平定には、みごとな用兵をみせて、諸豪族を心服させていった。ところが、魏が相手となると、不必要な用心深さをみせて、けっきょく孟達をむだ死にさせ、せっかくの長安奇襲に難色をしめして、もっとも平凡な策戦を実行して、大敗を喫した。とても戦略家とはいえない。‥‥自国の正義をかざすのであれば、魏の首都にむかって軍をすすめるかたちを天下の人々にみせつける必要があった‥‥諸葛亮が洛陽からかなり遠い祁山にでたことを知って、漢王朝に愛着をもっていた人々はいっせいに失望したと断言してもよい。それほど初戦のありかたと主戦場の位置は重要であった」(p136)

「戦いは、機先を制されると、ほぼ負けである」(p145)

「呉には策が多い。赤壁の戦いにおける周瑜、関羽のいないときに江陵を狙った呂蒙など、孫権の重臣には策略家が多いということである。」(p150)

「外交官でもない周魴は、敵の主将ににせの情報をながして、罠を設けた。兵術における詐騙はゆるされ、ときに称賛されるが、これはどうなのであろう。周魴に卑しい策を立てさせた孫権の器量も、天下を治めるほど巨きさはないといえる。魯粛が生きていたころにあった浩然の気が、呉の王朝にはなくなったといわざるをえない」(p165)

「卑劣な手段でも敵国の軍に勝てばよいとする孫権の思想は、呉という国の限界を示しているといえる。その思想のなかでは、道義が育ちようもなく、つねに敵の裏をかくことが良いという習性が生じ、けっして大計は生まれない。孫権が真の王者になりたいのであれば、敵将を騙して勝利したことを、むしろ悲しみ、今後の戒めとすべきであった。赤壁の戦いで、黄蓋が曹操をあざむいて大勝を導いたことが、軍事的な悪癖になったといえなくない」(p177)

「孫権のような策謀家から、諸葛亮の奥ゆきのない外交をみると、―稚拙である。と、嗤いたくなるが、じつは裏表のない外交こそ至上であるとおもわれなくもない。もっとも騙しやすい者は、もっとも騙しにくい。」(p214)

「孫権は諸葛亮を『信と誠の人』であると観た。この観視は正確であり、諸葛亮という人は、それがすべてであるといってよい。」(p215)

「かれは魏延を信用しなかった。戦い方はたしかに巧い。しかしながら、魏延にはおのれを誇る心が強く、諸葛亮の制御から脱したあとに、官兵を私兵にかえて、かつての董卓のように、首都から遠い県を選んで本拠とし、我意をもって兵を進退させるようになろう。」(p291)

「諸葛亮はおのれの失敗を馬謖になすりつけたような人であるので、李平の件もちがう角度から視る必要がある。」(p309)

「程喜という人は、自身の廉正を誇るあまり、他人の瑕瑾をさがしては非難する心の癖をもっている。‥‥みかたによっては、善人面をしているこういう男がもっとも質が悪い。」(p326)

「―その程度のことで‥‥。と、人が軽視するようなことを重大事と認識して未来を的確に視ることを、先見の明、という。」(p333)

感想

孔明ぼろくその一冊である。もちろん正史ベースであり、作者の批判が無根拠でないことはいうまでもない。いいものはいい、悪いものは悪いと言っている。ただ、孔明が馬謖に敗戦の責を押し付け、李厳の嘘も本当はどうなのか?と疑問符をつけるあたりあまでくると、さすがに「天才軍師」の像を否定するために言い過ぎではないかと思う。
街亭の戦いでは馬謖は孔明の指示を無視したと言われている。魏延ではなく馬謖を先鋒に任せたことに孔明の責があるのはいうまでもないが、指示を無視して敗戦した馬謖にも当然責はあるだろう。本書では孔明の指示のくだりはなく王平の反対のみが示されている。また、作者の言うように李厳のせいにして孔明が撤退したとすると、本書でもその記述の直後に書かれている後に李厳が孔明が死んだことでがっかりして病死したくだりがよくわからなくなる。李厳は孔明は厳しいが公平な人間であり、いつか自分の才能を生かし再び用いる時が来ると思っていた。しかし、孔明が仮に李厳のせいにして撤退したとするならつじつまがあわなくなる。私の読み込み不足なのかもしれない。

本巻では呉にも手厳しい。呉には策略が多く、赤壁の苦肉の計が悪癖の因となったというのはなるほどなと。

圧倒的軍事力で曹操に勝っていながら優柔不断によって敗れた袁紹と、圧倒的弱小国の孔明の用兵が袁紹程度というのは、根拠はあげられていてもなるほど!とはなかなか思えない。本質の話だろうけど。