【小説】『三国志』(10)宮城谷昌光

基本情報

作者  宮城谷昌光

出版  2014年

出版社 文藝春秋

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目次

  • 流馬
  • 満寵
  • 秋風
  • 孔明
  • 増築
  • 燕王
  • 長雨
  • 曹叡
  • 浮華
  • 赤烏
  • 蒋琬
  • 駱谷
  • 孫晧と呉の滅亡(上)

ざっくり内容

蜀軍は幼児から成人のように成長し、司馬懿を倒せる態勢を整えたが魏延の手抜きにより勝ちをおさめることができなかった。司馬懿は陣に引きこもり、秋風の中五丈原にて孔明は没す。魏延は殺され、楊儀も後継者となれず不満を叫び続け自殺する。魏は長年手を出せずにいた遼東を司馬懿があっけなく攻め滅ぼす。曹叡が早世し、司馬懿と曹爽が権力者となる。司馬懿はたびたび軍功をあげ、焦った曹爽は反対の中蜀攻めをするも何ら成果を得られず退却、その無能さを天下に示した。呉では孫権の統治に陰りがみえはじめる。

印象的な場面

大軍であっても諸将と兵卒を手足のごとく動かすことができるようになった諸葛亮がここにいるといってよい。元帥として彼は成長したのであり、最初から名将であったわけではない。」(p15)

「長期戦にもってゆかなければ蜀軍には勝てないと司馬懿は冷静に予想している。街亭で大敗した蜀軍が幼児であったとすれば、いまの蜀軍は成人である。これほど成長した軍を司馬懿はみたことがない。司馬懿には軍を成長させるおいう発想はない。兵は将の良否によって勁くも弱くもなる、と考えており、おなじ将のもとで兵が強くなってゆくというのは、昔の呉起と白起の例を除けば、ほとんどきいたことがない。」(p27)

「策は、ついにはおのれを滅ぼす。おそらく諸葛亮はそう信じている。じつは司馬懿もそう考えているのである。」(p28)

「自分が好むものが自分を滅ぼすもととなる、ということはある。」(p51)

「孔子の弟子たちはそれぞれがすぐれた素質をもっていたとはおもわれない。が、不世出の人に就いて学問をさずけらえて、ほかの弟子をみて研鑚を積んだせいで、孔子の歿後には、各地で尊敬される学者となった。‥‥満寵はただ曹操に使われていたのではなく、自主性をもって働いていた。わかりやすくいえば、たとえ属官であっても、自分が高官になったらどうすべきか、将軍になったらどうすべきか、などと考え、曹操に仕えたということになる。すぐれた人になるには、すぐれた人に会わなければならない」(p54)

「『上を知らねば下がわからず、下を知らねば上はわからぬ』」(p67)

「―丞相はこまかなことを、おろそかにしなかった。それが政治である、と一言でいえる。内政に関しては、諸葛亮には非の打ちどころがなかった。が、軍事に関してはどうであろう。諸葛亮の戦法は物理的であったような気がする。兵が衆ければ勝ち、食料が尽きねば克つ。たしかに一理あるが、戦略がまとまりすぎていて、戦術に飛躍がない。理からはずれたところでは軍の進退をおこなわない、というのが諸葛亮の信念であろう。それゆえつねに敵の意表を衝こうとした魏延を重用しなかった。諸葛亮はたぶん他人をあざむいたりだましたりすることが嫌いなのであろう。兵とは詭道なり、といった孫氏の兵法にみむきもしなかった。諸葛亮が腐心したのは、どのように敵に勝つか、ではなく、どのように自軍をゆるませないか、であり、軍法の厳しさはほかの二国のそれをしのぐ。したがって蜀軍の屯田兵のなかには渭水のほとりで住民とともに生活する者もいたが、すべての住民が蜀兵の恣暴のなさに安心したという状態が生じた。むろん主戦場にいる蜀の兵士も軍法を犯す者はおらず、その点、蜀軍は王者の風格をもっていたといえるであろう。しかしどれほど蜀軍は戦地で容儀が佳くても、いちども決定的な勝利を得なかった。そうおもえば、―緒戦がすべてであった。と、費禕はふりかえってみた。」(p114~115)

「諸葛亮の偉大さは、死去したあと、年を経るたびに追慕される量が大きくなったことである。なんとこの敬慕は、時代を超え、国を越え、海さえ踰えて日本におよんだ。中国史上の人物で、日本人がもっとも敬愛するのは、諸葛亮であるといってよい。これは演義(通俗小説)の虚構力のすさまじさのせいでもあろうが、『三国志』を書いた陳寿が、―諸葛亮の才能と政治は、管仲と蕭何に亜ぐ。と、称賛しているのであるから、おのずと遠方につたえられて尊敬を寄せられる氏名となったであろう」(p140)

「ことばによって毒をばらまきはじめた楊儀は人々に畏避されるようになりかれの周囲から人が消えた。」(p146)

「権力はつねに毒をもっている。その毒は人をそこなうこともするが、自身をもそこなうときがある」(p165)

「たしかに正しい者が最後は克つ。ただしそれは、歴史を巨きく視てのことだ。」(p287)

「ほんとうの傑人は、相手がどのような身分であっても、またどのようなかっこうをしていても、相手の人品や才徳を洞察するものである」(p302)

「『賢人のいるところでは、万里のかなたの敵をも折衝することができます。まことに賢人こそは国家の利器であり、国家の興亡も賢人の有無にかかっているのです』」(p308)

「孔子は僭越ということを忌んだ。その地位にいない者がですぎたことをするな、というのが孔子の教えであり、幼少のころから家庭内でこの教えをたたきこまれるのが教育の実態である。それゆえ軍事官は行政官をさしおいて、行政について意見を述べることをしない。が、孫権は儒教の信奉者ではない。僭越はいけない、となれば、皇帝に意見を述べる者は丞相ひとりになってしまう。丞相の意見がすべて、ということになれば、丞相の専横がはじまっても、皇帝は気がつかないであろう」(p312)

「富貴の身となって驕らないでいることは、実際は、やさしいことではない。満ちると欠ける、というのは、人の命運にもあてはまる。人には不足があったほうがよい。が、その不足をおぼえなくなったときが怖い。」(p340)

「遊びには、仲間とつきあい、仲間をふやす才能を育てる力がある。」(p357)

感想

章のタイトルで字が使われたのは孔明だけである。もっとも諸葛亮だと三字になるから、二字で統一していただけが理由なのかもしれない。陳寿は孔明を軍隊の統治には優れていたとしたうえで「毎年のように軍隊を動かしたのに(北伐が)あまり成功しなかったのは、応変の将略が得意ではなかったからだろうか」と述べている。作者は、この応変をこのシリーズで割と使用しているが、孔明の評価で直接にこの言葉は一度も使っていない。これは作者が度々言及している、本当の理解は単なる引用する人間にはなく、言葉を自分のものとして咀嚼していることが大事ということのあらわれなのであろう。

作者は繰り返し魏延の急襲作戦をとっていればといっている。これはどうなんだろう。

王平がかっこいい。