【小説】『三国志』(12)完 宮城谷昌光

基本情報

作者  宮城谷昌光

出版  2015年

出版社 文藝春秋

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目次

  • 廃位
  • 寿春
  • 傅嘏
  • 蛇足
  • 緩急
  • 朱異
  • 全氏
  • 孫亮
  • 孫綝
  • 好戦
  • 劉禅
  • 滅亡
  • 晋王
  • 孫晧と呉の滅亡(下)
  • あとがき
  • 解説

ざっくり内容

司馬師・司馬昭は着々と地盤を固めていく。魏でも呉でも皇帝が権勢をふるう者を除こうとして却って廃される。それをみて謀反を起こす人たち。

蜀では姜維が内政を顧みず、無謀な出撃を連年行い、黄皓の台頭もあって蜀の国力は衰退する。鍾会・鄧艾は蜀に攻め込み、鍾会は漢中を落とすが、姜維に阻まれ勧めなくなる。鄧艾は別ルートで攻めこみ、劉禅は降伏。鄧艾は独断専行の気配を見せ捕縛され、鍾会は独立を企て姜維はそれに協力するふりをして蜀の再興をはかる。だが、三社とも悲惨な死を遂げる。

晋王になった司馬昭、暴虐の皇帝の治める呉、三国の歴史は終わりを迎える。

最後は冒頭に対応する四知の話。

印象的な場面

人は、近くにいる者に親しむという性向をもっている。」(p43)

「才能は侈りという飾りがつくと、みずからをそこなう凶器となる」(p106)

「王朝にかぎらず組織を立て直す近道は、益をふやすよりも害をのぞくことである。」(p112)

「かれは人を推挙する際に、性質と品行を先とし、才能を後とした。『それはどういうわけであろうか』と、黄門の李豊に問われた盧毓は、こう答えた。『才能は善をおこなうためにあるものです。ゆえに大才は大きな善を成しとげ、小才は小さな善を成しとげます。いまその者に才能があると称めても、善をおこなうことができないのであれば、才能は役に立たないということになります』」(p144~145)

「得たいのなら、まず与えること、というのは『春秋左氏伝』にもある智慧であり」(p288)

「政治に方法や技術があるとすれば、それらは向上して、複雑な形態となるかもしれない。が、政治の起点となるのは、『人をおもいやる』ということにつきる。儒教では、それを仁義という。」(p329)

感想

正史をベースにした小説終わり。呉の滅亡は本筋では描かれず。劉禅の降伏や有名なエピソードについては比較的好意的な描き方。司馬昭は絶賛といってよい。

皇帝と外戚・宦官、それに丞相や大将軍などの高官との関係。権力者、なびくもの、信念を貫く者。様々なことが学べる歴史小説だった。

四知と「天道、是か非か」との司馬遷の叫びについて考える。