【小説】『太公望』(上) 宮城谷昌光

基本情報

作者  宮城谷昌光

出版  1998年

出版社 文藝春秋

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目次

  • 黄金の喬木
  • 鬼方
  • いのちの渦紋
  • 孤竹へ
  • 伯夷の邑
  • 老人と剣
  • 朝歌
  • 大河の光
  • 春陰

内容

羌族の望は、商の受王による人狩りによって父を殺された。商を倒すことを誓った望であったが、仲間は6人の少年少女。その力はあまりに小さかった。望は父の遺言通り北にむかい、そこで剣術と文字を習う。さまざまな族と人と関わり合いながら、望は商の朝歌にむかい、そこで山賊から美人を救う。豪族の娘であった彼女と望は結婚する。

印象的な場面

「だがそういう霊感に依りかかるつもりはない。自分だけに霊力がよりそってくれると過信すれば、必死さがうしなわれ、おもわぬ災難に遭って落命しそうである。人というのは、しばしば自分をうしなう。その空虚にはいってくるのは、邪鬼であろう。」(p94)

「『この童子には知力がある。知るということは、ここにあるものをみて、そのさきのかたちまでもみることができる力をいう。』」(p105)

「高くけわしい山は人を近づけぬが、けっきょく人を生かしてくれる。それにひきかえ、大草原はいかなる人もこばまないが死にいたらしめることをする。」(p155)

「まっすぐなものがみえない人は、どこかで成長がとまるような気がする。とまるというより、上に伸びず、横に伸びてしまう。―大木をみればよい。まず根を張るのにときがかかる。すぐに才をあらわさないということである。幹はまっすくである。ほかの木のじゃまをすることなく、陽光のながれにそって、ひたすら上昇をめざしている。人に仰がれる人物も、おそらくそうであろう。」(p161)

「大事を成すには、小事をつみかさねてゆくしかない。しかし小利を求めてはならない。小成は大成のためには、つまずきにすぎない。」(p302)

「生死の境をさまよいながら生をつかむという体験をしなければ、心胆はすわらない。危難というのは両刃の剣である。危難に殺されるか、危難を新生面にかえるか、である。」(p312)

「『誇る者は上達がとまる。そこが人のむずかしいところだ。彪や呉をみていると、馬羌であれば、せいせい十人長にしかなれない。班はそうではない。何千何万を指揮する望をたすけなければならない。人の一生は幼時できまるわけではない』」(p316)

「傷心の女の感情にからみつかれると、行動の自由をうしないかねないと用心しているのである。非情のようであるが、望にはこれからなすべきことが山積しており、男女の機微にふれるような手つきでは、それをとりさばけない。―自分は逢青のかたわらをさりげなく通りすぎてゆくだけの男でよい。」(p409

感想

やがて太公望とよばれる望。当然歴史的な人物である。だが、物語の中では当時の思想、現代からみれば迷信といえるようなものが多くでてくる。ファンタジーRPG向きの題材のような。紀元前11世紀頃だからそれも当然だろう。

にしても、登場人物の名前が覚えにくい。一文字が多いからか。

ここからの展開が楽しみ。