【小説】『太公望』(中) 宮城谷昌光

基本情報

作者  宮城谷昌光

出版  1998年

出版社 文藝春秋

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目次

  • 落花流水
  • 再会
  • 闇の帝王
  • 妲己
  • 陰火
  • 商の栄え
  • 旅愁
  • 疾走の時
  • 長夜の宴

内容

望は人を育て、族を説き、族を育て、少しずつ商打倒の動きを進めていく。その動きとは別に四公も商に謀反の動きを見せていた。

印象的な場面

一貫した志望をもっていることは幸福であるとはいえない場合が多い。時勢を変えるのは、一個人では不可能である。」(p22)

「生きることは動くことだ」(p34)

「正と邪が戦えば、かならずしも正が勝つわけではない。それゆえ負けたから邪であり、勝ったから正であるとはいえぬ。だが、善人にしろ悪人にしろかならず死ぬ。それなら、正をつらぬいて死んだほうがよいではないか」(p35)

「革命とは、新しいことばを必要とする。」(p37)

「望みが大きいと挫折も烈しい。挫折した者は、いたずらに卑小になるだけですから、その六人には、おのれの器量に適った望みをいだくように」(p49)

「大事というのは小事のつみかさねの上にあるのです。小事をおろそかにすれば、かならず大事に泣きます。人がみすごしたりあなどったりするささいなことに、しっかり対処してゆく者が、けっきょく成功するのです」(p51)

「人を利用すれば、かならず人に利用される。」(p66)

「勝つための工夫をし続けているが、ほんとうの勝ちはその工夫を超えたところにある一念がもたらす」(p189)

「ここまで生きてきたことは、吉と凶とのくりかえしではなかったか。苦難や危険が凶であるとすれば、その凶事をひとつひとつしのぐたびに勁くなり賢くなったといえる。幸運にめぐまれつづけ、吉がつらなったはてにある人生は、実感から遠い。すなわち不運がない人に幸運はないといってよい。」(p196)

「足もとの小石に希望の光をみつけてほしい。闇のなかに光をみつける努力をしてほしい。それをする者は生き、それをしない者は死ぬ。この世も同じである。」(p226)

「文明は滅びやすいが、文化は滅びにくいといいかえてもよい。商はいま中華で最高の文明と文化とをもっているが、文明は学びやすく得やすいため、ほかの邦がそれを凌駕するときがくるかもしれない。が、文化はそうはいかない。」(p227)

「自分を冷静に省るのはよいのですが、萎縮してはなりません。人はめぐりあう人によって大きくも小さくもなります。大きくなりたかったら、自分より大きな人にぶつかってゆかねばなりません。おのれの形を棄てるのです。形をもったままぶつかってゆけば、その形は毀れましょう。が、形のない者は、毀れるものがないのですから、恐れることはありますまい。」(p427)

感想

「覆水盆に返らず」「象牙の話」「酒池肉林」。覆水の話は作り話、盆ができるのははるか後年だし、当時は読書する人、文字が読める庶民はほとんどいなかったから。なるほど。

これで3分の2が終わったわけだが、いまいち各地の諸侯が受王を倒そうとする動機がみえにくい。受王の悪さがみえにくいからかもしれない。もちろん、ところどころに受王が行った悪事、人間狩りや炮烙は書かれている。しかしどれも歴代の王も行っていることであったり、炮烙は諫めによってすぐ終わったり。酒池肉林についても祭典であるとしている。受王は天才的な改革者であり、配下にも賢臣がいる。羌族の望の動機はわかるが。

一番最初の6人の同志、彪が一人だけ色の違う動きでついに敵方として出てきた。