【ノンフィクション】『「昭和」という国家』司馬遼太郎

基本情報

作者  司馬遼太郎

出版  1999年

出版社 NHK出版

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目次

第一章 何が魔法をかけたのか

第二章 ”脱亜論”私の読み方

第三章 帝国主義とソロバン勘定

第四章 近代国家と”圧搾空気”―教育勅語

第五章 明治政府のつらさ―軍人勅諭

第六章 ひとり歩きする言葉―軍隊擁護

第七章 技術崇拝社会を曲げたもの

第八章 秀才信仰と骨董兵器

第九章 買い続けた西欧近代

第十章 青写真に落ちた影

第十一章 江戸日本の多様さ

第十二章 自己解剖の勇気

付論一 日本語について

付論二 兵器のリアリズム

感想 田中彰

制作余話 栗田博行

ざっくり内容

自らも戦争体験者である司馬遼太郎が雑談としてNHKで昭和について語ったものを書籍化したもの。明治や江戸、海外との比較、夏目漱石、福沢諭吉など様々な語り口から昭和について語る。

印象的な場面

むろん戦場で死ぬことは『愛国的』であります。しかし、戦場で潔く死ぬことだけが、愛国心を発揮することではないのです。四捨五入して言っておりまして、あるいは誤差を恐れずに言っています。」(p11)

「愛国心はナショナリズムとも違います。ナショナリズムはお国自慢であり、村自慢であり、家自慢であり、親戚自慢であり、自分自慢です。これは、人間の感情としてはあまり上等な感情ではありません。愛国心、あるいは愛国者とは、もっと高い次元のものだと思うのです。」(p12)

「尊王攘夷は十三世紀に滅んだ宋の時代にできあがった思想です。」(p21)

「そのときに中国の人たちは親切にしてくれました。私は占領国の一兵士ですが、そうとは見ずに人間としてしか見ない。本当の人間とはこういうものかと思いましたね。もし自分が生き長らえることがあったら、外国人には親切にしなければいけないと思いました。」(p28)

「(司馬遼太郎は一種の祖国防衛戦と考えるが)日露戦争の評価は後から振り返ると、いろいろといかががわしいと言われても仕方のないところがあります。」(p46)

「われわれはいまだに朝鮮半島の友人たちと話をしていて、常に引け目を感じますね。これは堂々たる数千年の文化を持った、そして数千年も独立してきた国をですね、平然と併合してしまった。併合という形で、相手の国家を奪ってしまった。こういう愚劣なことが日露戦争の後で起こるわけであります。むろん朝鮮半島を手に入れることによって、ロシアの南下を防ぐという防衛的な意味はありました。しかし、日露戦争で勝った以上、もうロシアはいったん引っ込んだのですから、それ以上の防衛は過剰意識だと思うのです。おそらく朝鮮半島のひとびとは、あと何千年続いてもこのことは忘れないでしょう。」(p52)

「『日本は強い。日本はたいへんいい国家だ。日本のやることに間違いはない。悪いことはしていない』賢い人は別でしょうけれども、昭和前期の、昭和元年から昭和二十年までの国民のほとんどは、そう思っていました。」(p62)

「軍人は非常に空疎な漢語を使いたがり、極端な表現、決して血が通うことのない言語を使いたがった。もっとも、『軍人』と一般化するのはいけないのですが、ある時代の、ある限られた軍人たちが、国民に対して盛んに宣伝した。」(p101)

「リアリズムがないから、言葉でごまかそうとする。」(p106)

「言語は不特定多数、あるいは特定多数に対して発せられたときには、魅力的でなければなりません。聞いて元気がでなければ、また、ああ嬉しいなと思わせなければなりません。」(p116)

「戦争というものは負けても悲惨ですが、勝ってもその国を時に変質させることになる」(p127)

「アジアの解放とか、東洋の平和とかいった、つくられたスローガンは確かにありました。アジアは解放されたではないかという、論理のつじつまの合いにくい結果論を言う人もいます。」(p134)

「われわれ日本人で明治元年から今日に至るまで、トインビーに匹敵するような大歴史家を一人あげよといえば、文句なしに内藤湖南でしょう。」(p193)

「戦後の一時期、何もかも日本が悪いというようなことがよく言われていた時代がありました。明治も結局、『女工哀史』の時代であり、野麦峠で象徴される時代だったと言われました。確かにそのとおりであります。」(p205)

「私は、青少年期にさしかかるころから自分を訓練してきたことがひとつあります。中国のことを考えるときは、自分が中国人だったらと、心からそういうようなつもりになることです。‥‥日本人はつい自己を絶対化する癖がある‥‥それが昭和を曲げさせたと私は思っています。」(p210)

感想

この本の「感想」でも述べられているが、司馬遼太郎は非常に人気を博した作家であり、「司馬史観」という言葉まで生まれた。それはもちろん小説であって=史実ではないが、これをごちゃごちゃにすると変な話になる。

この本の中ではっきりそれは違うのではないかと思う一つは、この当時右傾化が言われているが自由を知ったから大丈夫だろうという趣旨のことが書かれている。歴史は繰り返すというけれどそれには条件が‥‥というくだり。これは同意できない。日本の場合、極端に振れる可能性は常にあると考える。

他にもいくつか違和感がある個所はあるが、大半はなるほどと思う。

アジアの解放とか、東洋の平和とかいった、つくられたスローガンは確かにありました。アジアは解放されたではないかという、論理のつじつまの合いにくい結果論を言う人もいます。」(p134)

われわれはいまだに朝鮮半島の友人たちと話をしていて、常に引け目を感じますね。これは堂々たる数千年の文化を持った、そして数千年も独立してきた国をですね、平然と併合してしまった。併合という形で、相手の国家を奪ってしまった

このようなところは、今現在も声高に主張している人たちがいる。建前論をかざして実質を無視するかのような。司馬遼太郎のいう相対化、相手の立場に立ってものを考えるという、ある意味人として当然のしかし大きな声の前に流されてしまいがちの生き方は非常に大事であると考える。