【エッセイ】『礼儀覚え書き』草柳大蔵

基本情報

作者  草柳大蔵

出版  2000年

出版社 グラフ社

スポンサーリンク

目次

まえがき
私が24歳のときにかいた恥は三十年間生き続けた

序章  礼儀作法とは

第一章 付合いの礼節

第二章 スマートに生きる

第三章 思いやる心

第四章 自分をみがく

第五章 美しく食べるために

 

ざっくり内容

著者の作品の中から、礼儀作法に関するものを厳選し一本にまとめたもの。多くの人の著作からの引用がある。マニュアル本というより感じではない。

印象的な文章

「ルールは『正しさ』であり、マナーは『美しさ』である必要がある。」(p19)

「父親や教師が子どもを一喝しない、あるいは、課長が課員を叱らないのは、上の人が下の人にやさしくしている姿ではなくて、じつは下の人をもてあそんでいるのではないか、と思えるのです。『上』の人が、愛を喪ったからです。一喝や叱るということ、これは『愛』の一種なのです。若い人が社会に出てから、余計な敵や抵抗にあわず、温かい人間関係が結べるようにと、一喝するのです。自分が悪く思われる可能性を承知のうえで叱るのです。」(p27)

「剣道で剣先を交わした場合に相手の伎倆がわかるように、名刺の受け渡しという短時間の動作の中に人柄がすっかり読み取れるのである。」(p51)

「『君が君の弱点とみなしているものにこそ、僕たちは期待しているのだ。君は自分を偽ってはいけない。君の花はそこに咲くのだよ』このひと言がどれほどアンデルセンを勇気づけたか、およそ想像はつくだろう。」(p85)

「作家の吉川英治氏は色紙を頼まれると『吾以外皆我師』と書いた。」(p131)

「(言ってはいけないこと)過去を語るなかれ。‥‥家族のことを問うなかれ‥‥問われない限り家族の栄光を話題にするな」(p142~3)

「端的にいえば『可愛い女』と『気がきかない女』は、『する』『される』の関係に置きかえられる。『可愛い女』は『される』ことに慣れている。いつも受け身の状態なのだ。そういう時間が重なると、自分から『する』『してあげる』という行為が、あるいは『してあげる』という思いが萎えてしまうのである。」(p199)

「いまの娘は、自分の能力を点検せず、意志だけをつらぬこうとする。」(p207)

「いまは『資格のない母親』がたくさんでてきたのではないか。資格がない、というより、実力がない、といった方がよいかもしれない。これは女性がなかなか”妻”や”母”にならず、いつまでも”お嬢さん”でいたいため、母や妻になってそれなりに汚れることを欲しないからだ。」(p210)

「人間が一生の間にお目にかかれるのはせいぜい三万人。政治家や客商売のような人でも五万人だといいます。」(p220)

感想

今のSNSの時代に本書の内容を出せばおそらく批判が殺到するに違いないと思う。しかし、同時にこういう時代だからこそ、本書のような内容を実践できていれば、わかる人にはわかる世界で抜きんでる気がする。

著者自身が24歳のころかいた恥とは、仕事先の応接間で座って待っていたことを指摘されたというものである。著者はそれを非常に恥ずかしく思いその後は絶対に相手が来るまで立って待つようにした。30年後ある人が著者を紹介した時にどんな人かとの問いに、「彼は私待つ間、坐らないで立って待っているような男だよ」という一言で著者は信用されたという内容であった。

ほとんどの場面や多数の人間に対して無駄であったり理解されないからと自身の行動を低いレベルにおいてしまうと、結局損をしてしまう。