『三国志』3 宮城谷昌光

基本情報

作者  宮城谷昌光

出版  2009年

出版社 文藝春秋

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目次

  • 戦乱
  • 涼州
  • 米賊
  • 何進
  • 兄妹
  • 董卓
  • 義挙
  • 汴水
  • 再起
  • 孫堅
  • 冀州
  • 界橋
  • 後漢と三国の仏教事情1

ざっくり内容

董卓の台頭、皇甫嵩の逡巡、連合軍の結成、袁紹の優柔不断、曹操の果断、孫堅の勇躍、公孫瓚と袁紹と袁術。

印象的な場面

戦意のない将は、無能な将より劣る」(p11)

めったに策を用いない者が立てた策であるゆえに絶大な効果があった」(p29)

孫堅は、軍紀のゆるみが軍の弱さにつながることを知っている。大敗すれば、万人の死者がでる。すなわち非違の一将を斬って万兵を救うのが元帥のありかたではないのか。(p55)

(管寧と華歆が共に勉強しているとき、地中から金のかけらがでてきて管寧はそのまま華歆は撤去。馬車で貴人が通ったとき、管寧はそのまま華歆はみにいった)ふつうに読むと管寧のほうが華歆より人格は上であるとうけとりたくなるが、よく考えると金のかけらや貴人にこだわったのは、管寧のほうである。(p108)

(曹操)「直言を避けていたら、人は成長しない。苦言や諫言は良薬のようなものだ、と殷の湯王がいっている。たとえにがくても、呑まねば、病は治らない。わたしの悪いところがどこか、遠慮なくいってもらいたい」(p221)

人を疑えば、人は去るのである(p262)

大志のない者は千載一遇の機会をつかみえない。(p301)

人民を喜ばせ、その喜びを自分の喜びとする者だけが、王者となる。(p320)

人はいちど大勝してみないと大きくなれないものだ(p366)

(アショーカ王が)インド統一を成し遂げた。アショーカ王よりおくれて中国を統一した秦の始皇帝は、厳峻な法治国家を実現した。が、このインド王の法治とは、仏法の法であり、これほどの聖王がいたのか、とおどろかされるほどすぐれた治世を出現させた。政治の内容においては、秦の始皇帝はとてもアショーカ王におよばない。(p384)

感想

曹操・孫堅が輝いている一方、劉備はみすぼらしい。関羽張飛の存在が劉備の人材群の妨げとなっているとの記述は初めてみる見方である。
名臣皇甫嵩が、英雄となれなかったのは確実にできたにも関わらず董卓討伐を実行せず、ただ何もしなかったところにある。彼には彼の言い分、董卓が悪逆であっても朝廷の命に従うのが臣の道である、があったにせよ、そこには苦しみにあえぐ大多数のことは念頭にない。

三国志演義では、義勇軍の中心メンバーであった曹操が、ほとんど無視の状態であるところが面白い。官位がないから、宦官の孫だからという外見で。他方で名声高い袁紹も出自・一族によってのみである。そういう外形にとらわれず内実を捉え力を合わせた鮑信などは人として立派だ。

袁術にも袁紹にも十分に天下をとれるチャンスは何度もあった。しかし、いずれも決断がなく、そしてそれを生み出す人格がなかったため、結局は敗れることになる。

中国史に抜群に詳しい作者が知皇帝よりも上とほめるアショーカ王とはどんな人間か興味がわいた。