『三国志』4 宮城谷昌光

基本情報

作者  宮城谷昌光

出版  2009年

出版社 文藝春秋

スポンサーリンク

目次

  • 兗州
  • 鮑信
  • 王允
  • 賈詡
  • 謀主
  • 徐州
  • 親友
  • 済民
  • 三城
  • 鉅野
  • 雍丘
  • 楊奉
  • 後漢と三国の仏教事情2

ざっくり内容

王允がそそのかし、呂布が董卓を殺害した。しかし、王允の狭量・決断の遅さと賈詡の提案により、李傕と郭汜が長安を占領。王允は死し、呂布は追い払われる。一方徐州では宦官嫌いの陶謙が曹操の父を殺し、曹操は復讐戦を挑む。劉備は田楷の命により援軍となり徐州の後を託される。曹操は出陣の際に陳宮・張邈に裏切られ、呂布によって本拠地のほとんどを失うが、程昱・荀彧・夏侯惇の活躍で何とか再起する。
長安からは献帝が逃げだす。

印象的な場面

敏慧である能吏に権要をあたえると独善的になりやすい。(p37)

自軍の兵が疲労困憊しているということは、敵軍の兵も同じである。この苦しさを耐え抜き、乗り切らなければ、勝ちをつかめない。(p56)

護身のための懐剣は、ひそかに鞘をはずしておけば、その身を刺すことになる。(p78)

決断力のない者は、主導者にはなれない。(p99)

言語はけっして無機的なものではなく、あえていえば人の内側の感覚の目をひらかせる。(p166)

恐れと批判力をもたぬ者は、正しい認識力と強い創造力をもちようがない。(p166)

諸葛瑾と諸葛亮が曹操に仕えなかったのは、このときの酸味にみちた体験が心に刻みこまれたためであろう。(p230)

大志さえあれば、人はいかなる屈辱にも耐えられる。(p241)

人にはどうにもならぬ衰運のときがある。身動きさえできぬ困窮の時間をどうすごしたか、ということが人の成否に大いにかかわりがある。(p321)

感想

劉備・曹操・呂布、それぞれ作者独特の見方がある。呂布に関していえば、一般的には欲望に忠実で次々に裏切りを行ったと評されることが多いが、本書では「呂布は皇帝を至上の唯一人であると認め、その至尊の人の近くに立ちたいのが、かれの最大の欲望なのである」としている。劉備の思想も独特である。

そして、この巻で一番気になるのは、徐州大虐殺についてである。曹操が父親の復讐戦で徐州攻めを行った際、兵だけではなく無辜の民を大量に虐殺した。このことについて、本書では触れていないわけではないが、作者自身の批判がほとんどみられない。たとえば、「曹操の徐州遠征における大虐殺は、過剰な報復行為である、というのが、後世の史家の一致した見解である。が、‥‥」(p228)とある。一般に逆接の文章では逆接後の文が作者の主張である。本書における曹操は、この時代において唯一民衆の心を知り民衆を守ってきたという趣旨の記載があったような気がする。さらにこの巻の終わりのほうにはこういう記述がある。「(曹操はいった)『それは、ひどい‥‥』李傕と郭汜は武器を持たぬ都民をも殺し、わかい女を略奪したのであろう。董卓の毒気をうけついでいるふたりであれば、やりそうなことである」(p343)。もちろん、李傕と郭汜は曹操とくらぶべくもないが、これは公平な書き方ではないであろう。復讐であろうが、私利私欲であろうが、民とすれば理不尽に殺されることは同じである。

袁紹や袁術への批判がこの巻では多く、それ自体は正しいものであるが、その書き方をなぞるとすれば非常に雑だがこのようにあってもよかったのではなかろうか。「曹操は怒りに任せて兵だけではなく、徐州の民をも虐殺した。これはいかなる理由があっても許されぬ。そしてこれがために曹操の天下統一の野望が達成できなくなったといっても言い過ぎではあるまい。なぜならこの虐殺が諸葛亮をして決して曹操に仕えることをさせず、諸葛亮が劉備・孫権同盟をなしたからこそ赤壁で曹操は敗れ、劉備の飛躍を許したのである。してみるとこの大虐殺は倫理の面からも曹操の覇道の面からも大きな過ちであったといえる」

正史に沿って描かれているからといって、必要以上に曹操が美しすぎるのは適切ではないと思う。

徐州での曹操の描き方に不満。